外交関係から観光・投資まで

政治・経済交流

戦間期のリトアニア・日本の関係
戦間期のリトアニア・日本の関係
外交的承認からカウナスでの杉原の偉業まで

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リトアニアと日本の双方が合意できる二カ国間の条約が整ったのは、20世紀になって20年以上が経った頃のことでした。1918年のリトアニア独立宣言が主な要因ではあるものの、日本も国際的な関係性の構築や影響力の拡大に意欲的な時期でした。地理的な理由もあり、リトアニアと日本の協力関係は、戦間期中はさほど緊密でも活発でもありませんでした。しかし、二カ国間で現代的な民主主義的関係の基礎を築いたという点では、興味深い例となりました。
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リトアニア・ソビエト社会主義共和国と日本の関係
リトアニア・ソビエト社会主義共和国と日本の関係
冷戦下における相互関心

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リトアニアはソ連に占領された後、独自の外交政策を展開することができず、カウナスの外国領事館は閉鎖され、国際協定も打ち切られました。1940年9月初めに杉原千畝がカウナスから出発した後、リトアニアに日本の代表はいなくなりました。その結果、ソ連邦内のリトアニアと日本との関係は非常にゆっくりとしたものになりました。冷戦時代、日本はアメリカの同盟国であり、「対極にある資本主義の敵」であったから、これは当然と言えば当然です。
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1991年からの外交関係
1991年からの外交関係
より近く、より親しく

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日本は1991年9月6日にリトアニア共和国を承認し、10月10日に国交を復活させました。両国お互いによる関心が非常に強かったことが、リトアニアと日本の代表が定期的・頻繁に行き来していたこと、同意書への署名、また実施中の行事の存在によってよく現れています。その中でも特に際立っているのが、日本の明仁天皇と美智子皇后の訪問です。
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人と人との交流
人と人との交流
心から心へ

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日本とリトアニア間での最も素晴らしい関係が築き上げられたのは、それぞれの国々の人々の自発性があったからと言えます。たとえ遠く離れた2つの国ですが、複数のコミュニティが周囲の人々を巻き込み、関係を維持しようとしてきたおかげで、友情の橋、またお互いを良く思う気持ちが生まれたのです。例えば、独立後のリトアニアの復興には日本の様々な個人や団体が貢献し、2011年の震災後にはリトアニアが日本の復興に協力しました。その結果、自治体、団体、地域社会の間に強い結びつきが生まれています。
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経済関係
経済関係
貿易、投資、観光

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リトアニアと日本の歴史は長いにも関わらず、両国は第二次世界大戦前も1990年の独立回復後の最初の1年間も経済関係をあまり持ちませんでした。リトアニアは長い間地図に載っていなかったため、日本の起業家の目に止まらなかったのです。しかし、リトアニアがEUに加わったことで状況は変化し始めました。2004年、NECの代表佐々木元率いる、経団連の使節団がリトアニアを訪れ、その間、同じ年にもリトアニア実業家連盟は日本を訪れていました。その後、両国はお互いに実業家の代表を国・地域レベルで派遣し合うようになりました。
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Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
Fri ‒ Mon: 09am ‒ 05pm

Adults: $25
Children & Students free

673 12 Constitution Lane Massillon
781-562-9355, 781-727-6090