心から心へ

人と人との交流

(杉原記念館の前に立つ「塗魂ペインターズ」の従業員、2017年 写真:J. Petronis)

日本とリトアニア間での最も素晴らしい関係が築き上げられたのは、それぞれの国々の人々の自発性があったからと言えます。たとえ遠く離れた2つの国ですが、複数のコミュニティが周囲の人々を巻き込み、関係を維持しようとしてきたおかげで、友情の橋、またお互いを良く思う気持ちが生まれたのです。例えば、独立後のリトアニアの復興には日本の様々な個人や団体が貢献し、2011年の震災後にはリトアニアが日本の復興に協力しました。その結果、自治体、団体、地域社会の間に強い結びつきが生まれています。

近年の最も記憶に残る出来事の1つは、2017年に日本の塗装会社「塗魂ペインターズ」の従業員によってカウナスにある杉原記念館の建物の外壁を塗り替えることが決定したときでした。そこで彼らは必要最低限の塗料や材料を購入しただけではなく、50人もの社員がカウナスを訪問し、数週間にわたって建物の復元を行いました。

久慈市とクライペダ間での協力体制

日本とリトアニアの自治体間での最初の関係は、クライペダと久慈市のパートナーシップ協定に署名した後、1989年7月9日に設立されました。久慈市は東北地方の岩手県にある人口4万人程の都市で、琥珀の加工技術やアンバーホールで有名です。琥珀の加工が久慈市がクライペダとの関わりをより親密にした主な理由の1つであり、1979年から2003年まで当時の少佐であった久慈義明がこの友情の先駆者であったと言われています。この2つの市の行き来はとても活発で、各市長は繰り返しお互いを訪問し、しばしばアーティストや社会人の代表団を集めました。1995年、ハーグで開催された世界地方自治体会議にて、クライペダと久慈市の関係が世界で最も関心を集めた関係として認められました。

(久慈市、2015年 写真:Wikimedia / くろふね)

1991年のイベントの直後、リトアニアの人々の独立を願う久慈市長の久慈義昭は、当時のソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフに抗議の手紙を送り、武力侵略の停止を要求しました。1991年、リトアニアが独立を達成した後、久慈市の住民はクライペダのための人道支援を行い、クライペダの病院の医療機器を購入するための費用約120,000ドルが集まりました。

(クライペダでの「千匹の鶴」 のイベント 写真:「Kauno diena」新聞所蔵)

20年後の2011年3月11日、久慈市は地震と津波の大きな被害を受けました。すると、クライペダは寄付キャンペーンを行うことで久慈市との連帯を示し、最終的には合計で200,000ユーロもの寄付金が集まりました。これらの資金は震災による被害を受けた人々の医療費、育児費、および学費をまかなうために使用されました。同年の8月8日、クライペダの学校で「千匹の鶴」という支援活動が始まり、生徒たちは日本の災害への思いやり、また希望と友情の証として、何千もの紙巻き上げを手作りし、街の広場の木に飾り付けました。

1992年、クディスは、クライペダの教師であり、久慈市で日本語を上達させたヴィタウタス・ドゥムチウスに対して 1年間のインターンシップを提供しました。クライペダへ戻った後、彼は有名な日本語の詩の翻訳者となり、2つの都市間の教育および文化関係を積極的に深めるような開拓者となりました。1994年、久慈市による大きな協力体制のもと、クライペダ大学に東洋学センターが設立されました。そこではV. ドゥムチウスが主要な講師の1人として日本語と文学を教え、その他にも日本の文化と芸術イベントも開講されました。

クライペダの住民は久慈市で自分たちの文化を紹介する機会を多くもち、その中で最も有名なものが1998年の琥珀祭りです。パランガにある琥珀博物館の琥珀が久慈市で展示され、クライペダ民俗グループによるコンサートも行われました。

(久慈市長の山内隆文、 クライペダにて、2009年 写真:「Kauno diena」新聞とWikimedija / Ksurija)

日本も、主に海祭りにてクライペダで自身の文化を紹介することに熱心でした。その中でも特に注目を集めたのが、2004年にクライペダに設立された桜公園、また2009年8月にクライペダで開催された日本文化の日にて、伝統舞踊、茶道、書道、折り紙、生け花などの芸術が紹介されたことです。

久慈市とクライペダのビジネスのつながりを深めようとする試みが複数回にわたって行われ、2002年、久慈市の企業が日本で1番最初のリトアニア料理レストラン"Gintaras"をオープンしました。夏の期間中はクライペダの観光学校に通う、4名の選ばれた現地の学生がウェイターとして働いています。また2004年、民間の琥珀加工会社である久慈琥珀(株)は会社の敷地内に店舗を構え、おもちゃや飲料、琥珀などさまざまなリトアニアの商品を輸入しました。

(久慈市にある「リトアニア館」というリトアニアの一般的な家を再現した建物)

岐阜県とリトアニアの協力体制

岐阜県は47都道府県の1つであり、200万人を超える人々が住んでいます。また、山岳地帯に位置し、地理的にはほぼ日本の中心であると言えます。リトアニアとの友好は、1940年にカウナスで命のビザを発給した岐阜県出身の杉原千畝領事の遺志を受け継いでいます。

2016年には古田肇知事のもと、岐阜県とリトアニアの協力が強化されました。この取り組みにより、お互いの場所への行き来が活発化し、芸術分野での交流、また教育に関するイベントが開催されるようになりました。2019年、カウナスは八百津町と関係を築き、パクルオイス地方は山形の町との友好関係を維持し続けています。

(岐阜県の景色 写真:AzijaLT所蔵)

2016年から2019年にかけて、リトアニアと岐阜県の間での訪問がさまざまな場面において活発に行われました。古田肇知事、村瀬幸雄名誉領事はリトアニアを訪れました。2017年のカウナス副市長S.カイリスと2018年の市長ヴィスヴァルダス・マティヨシャイティスは岐阜県を訪問し、2019年にはリトアニアの大統領ギタナス・ナウセダも訪れました。ナウセダ大統領は岐阜県を公式に訪れた1番最初の大統領です。

リトアニアNOW

毎年行われるお祭り「リトアニアNOW」は2018年から岐阜市で行われており、日本でのリトアニアに関する最大のお祭りです。数週間にわたってコンサート、展示会、展覧会、ワークショップ、講義や映画上映会など、数々のイベントが催されます。その中でも目玉とされるイベントがリトアニアのアーティストたちによる「リトアニアNOW」のオープニングコンサートです。民芸アンサンブルの「Nemunas」(2018年)、フォークダンスアンサンブルの「Suktinis」(2019年)、そしてソプラノ歌手のアナスタシア・オゼロワがパフォーマンスを披露しました。

(リトアニアNOW 写真:AzijaLT所蔵)

ビジネス

リトアニアと岐阜県は文化的にだけでなく、ビジネスに関するつながりも発展させてきました。その中の最も成功したといえる一例が日本へのリトアニアの蜂蜜の輸出です。岐阜県の会社はリトアニアの蜂蜜を輸入し、日本の市場と適合させることで新たな製品を開発しました。「リトアニアの風」という和菓子は岐阜県だけでなく、隣県でも販売されました。パンを製造するとある会社は、リトアニアから輸入したドライフルーツを使ったリトアニアのパンのレシピを開発しました。

(岐阜県が広告したリトアニア製品 写真:AzijaLT所蔵)

カウナスと八百津市の協力体制

岐阜県の八百津市は杉原千畝の功績を後世に残すことへの活動に活発に取り組んでいます。この杉原千畝に捧げられた世界最大の博物館が、2000年に開館しました。そこで、八百津市は杉原千畝が命のビザを発行した場所で知られるカウナスへ積極的に働きかけました。これによって高校や企業間での行き来が始まり、八百津市長の金子政則は2016年から2019年にかけて何度もカウナスを訪れました。2019年2月に署名されたカウナスと八百津市のツイニング協定で、これら2つの都市の友情が証明されました。

(カウナス・八百津市協力協定調印式 写真:カウナス市役所所蔵)

相互協力

日本によるリトアニアへのサポート

独立を宣言した後、リトアニアは民主主義と自由市場経済を追求していました。そんな中、日本はリトアニアへ物資援助と技術協力を行った最初の国の1つとされています。特に日本は文化資金プログラムの開発に注目し、教育、また文化を学ぶ機会を提供しました。主な目的は日本とリトアニア間での相互理解、友情、またお互いをよく思う気持ちを醸成するためでした。

最終的には文化および教育活動の促進と、その改善に向けた合計13のプロジェクトが実施されました。集まった資金の使い道としては、リトアニア国立博物館は修復装置、リトアニア音楽アカデミーは音楽機材に、またヴィリニュス大学とヴィータウタス・マグヌス大学は日本語学習の教材を新しくするためなどに使われました。

(「Lietuvos aidas」新聞、1996年9月19日)

リトアニアによる日本へのサポート

2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれによる津波は第二次世界大戦後から、最も深刻な災害であるとされています。この大災害の後、リトアニアの人々は団結して、日本を支援するためにお金やさまざまなものを寄付として集めることができることを示しました。また、被災地を支援するためのチャリティーイベントも開催されました。リトアニア赤十字やセーブ・ザ・チルドレンなど、多くの組織が積極的に寄付を集めました。学校、コミュニティ、組織など、それぞれのコミュニティが参加した。最後に、多くの人々が追悼の手紙を書き、精神的なサポートを表明しました。

(2011年の自然災害を記念してカウナスのアレクソタスに植えられた松の木に寄り添う八百津市の代表団 写真:AzijaLT所蔵)

その他自治体の取り組み

愛知県にある豊橋市は人口37万人を超える愛知県の工業都市で、自動車関連部品の生産を中心とした工業生産と大きな港を所有していることで有名です。2019年豊橋市はパネヴェジースの公式パートナーとなり、このパネヴェジースはカウナスとクライペダに続く、リトアニアで日本と協力関係をもつ3番目の都市となりました。

(パネヴェジースでの豊橋市の代表団、2019年 写真:sekundė.lt所蔵)

(平塚・リトアニア協力に関する出版物より抜粋 写真:AzijaLT所蔵)

平塚市は神奈川県の横浜市の南に位置する都市で、人口は20万6千人余りです。リトアニアとの友好関係は、2020年のオリンピック開催に向け、平塚市がリトアニア人をオリンピックファミリーに迎え入れ、オリンピック村となることを約束したことから始まりました。自治体職員は、住民にリトアニアを代表し、日本選手と同じようにリトアニア選手を応援してもらうという目的を持っていました。2017年9月、アリトゥスと平塚は協力意向の議定書に署名しました。

敦賀市は福井県の日本海に面した港で、人口は6万人を超えます。そんな敦賀市とリトアニアの関係が発展したきっかけは杉原千畝です。敦賀市は命のビザを持ったユダヤ人が降りたとされる日本で1番最初の港で、神戸港へ赴く前にこの場所に滞在しました。それから、敦賀市には人道の港の称号が与えられ、そこで救われた人々の歴史を展示する大きな博物館があり、この博物館はリトアニアも紹介されています。

(人道の港 敦賀ムゼウム 写真:敦賀市役所所蔵)

(リトアニアでの北海道代表団、2019年 写真:AzijaLT所蔵)

鵡川町は北海道にある人口8500人の町で、恐竜の化石で有名です。アリートゥス地方には豊富な地質遺産、化石があり、これが2つの都市をつなぐ友情のきっかけとなりました。2020年、アリートゥスのミトロファノヴァス市長とむかわ町の竹中喜之市長は協力の意向を示す議定書に署名し、これが2つの自治体間の交流の正式な始まりとなりました。

書誌情報

  • Žukauskienė-Čepulionytė, Gabija. 2001. Dešimties metų Lietuvos ir Japonijos kultūros ryšių apžvalga. Mokslas ir gyvenimas, spalis.
  • Vereta Rupeikaitė. Žvaigždė iš Tokijo nelinki Kaunui dangoraižių // Kauno diena („Namai“), 2013 m. spalio 3 d.
  • Lukošiūtė, Sandra. Klaipėdos parama Kudži: popierinės gervės nutūpė ant sakūrų, 2011 m. balandžio 8 d.
  • Klaipėdoje – delegacija iš Kudži 2009-07-31 Milda Skiriutė
  • https://t1.sekunde.lt/leidinys/sekunde/naujas-panevezio-partneris-tojohasis/

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