経済関係

(岐阜のビジネス代表団がカウナスへ、2019年 写真:カウナス市役所所蔵)

リトアニアと日本の歴史は長いにも関わらず、両国は第二次世界大戦前も1990年の独立回復後の最初の1年間も経済関係をあまり持ちませんでした。リトアニアは長い間地図に載っていなかったため、日本の起業家の目に止まらなかったのです。しかし、リトアニアがEUに加わったことで状況は変化し始めました。2004年、NECの代表佐々木元率いる、経団連の使節団がリトアニアを訪れ、その間、同じ年にもリトアニア実業家連盟は日本を訪れていました。その後、両国はお互いに実業家の代表を国・地域レベルで派遣し合うようになりました。

リトアニアにとって過去10年間、日本はアジアで最も重要な戦略的経済パートナーの1つとなっていました。貿易は栄え、2012年に強化され始まったリトアニアからの輸入は最も重要な位置を占めました。また、日本人観光客も増え始め、観光産業も発展してきたものの、2019年の新型コロナウイルスの蔓延の影響により状況が一変してしまいました。

経済関係への投資は依然として必要なのです。法的根拠は改善し、経済関係の可能性を促進しています。例えば、2018年に政府は二重課税を回避するための手続きを確立したこと、また2019年に日EU経済協力協定が発効したことが例として挙げられます。

貿易

リトアニアの生産能力は日本よりもはるかに低いものの、2012年からの貿易バランスはリトアニアからの輸出が多くを占めました。タバコ、食品、レーザー、衣類、家具、織物などの輸出や家電、プラスチック・ゴム製品、化学品等の輸入などが挙げられます。2020年のデータを見ると、リトアニアは7千万トンもの荷物を日本から輸入し、その額は9,353万ドルにも及びました。日本はリトアニアにおいて37番目に大きな輸出市場 (リトアニアの輸出の 0.3%) また、34番目に大きな輸入市場 (リトアニアの輸入の 0.2%) でした。2019年に日EU自由貿易協定が発効して以来、2国間経済協力の状況はさらに改善されています。リトアニアが日本に商務官を任命する2022年から貿易は活発になると予測されます。

(リトアニアがFoodex 2022(東京)に出展 写真:Kristina Mineikienė)

1992年以降の日本の対リトアニア物品貿易額。

リトアニアの起業家はEUの日本への玄関などのリトアニア産のものを日本の市場へ紹介するといった内容の国際フェアや輸出プログラムに活発に参加しました。EUの出資によってできたこのプログラムには、日本の市場に魅力的な製品を提供し、明確な戦略を策定しているリトアニアの複数の企業が選ばれました。2005年にはリトアニアの洋服のデザイナーがこのプログラムに参加し、リトアニアのものを紹介しました。それから、リトアニアの製造業社は食べ物、家具、そしてその他品物を日本で紹介しました。

(リトアニアのビジネス代表団が東京に来訪、2005年 写真:AzijaLT所蔵)

農業は日本とリトアニア間の貿易にとって重要な課題であり、特にリトアニアから日本への早期の輸出統計の中に現れています。1994年から2002年のかけて、日本への主な輸出物は乳製品を中心とした農産物の輸出が一般的でした。

2012年から2014年は農作物の輸出が増加したことで特徴づけられました。2014 年には乳製品が11.6 ミルの純資産で輸出市場を独占しましたが、それは農作物が輸出統計のトップに載った最後の年でした。リトアニアの生産範囲が拡大するにつれて、乳製品は木材、衣類、家具などの他の産業に抜かされてしまったのです。一方でリトアニアからの農作物の輸出は、動物、植物の病気、および食品などの輸入作物に適用されるに対する厳しい安全要件により減速しています。

2018年の貿易量の増加により、日本に農業アタッシェのポストが設立され、デイビダス・クリウチンスカスが初代アタッシェに任命されました。

最初の10年間は地元で生産された食材が主流でしたが、レーザーは1990年以降日本へ輸出されるだろうとされた1番初めの品物でした。ヴィリニュスに本拠地を置くレーザーの会社「エクスパラ」で製造されたレーザーは、1993 年にリトアニアから日本への唯一の輸出品でした。

リトアニアのレーザーは世界的に、特に先進国の間で高く評価されました。2009年の統計によると、日本はアメリカに次ぐ世界で2番目に大きなリトアニアのレーザーの市場であり、2010年から2013年にかけてレーザーはリトアニアから日本への輸出市場を独占しました。

2015年はタバコ及び製造タバコ代替品が輸出物第一位となり、輸出市場は転換期を迎えました。これはタバコ会社の「フィリップ・モリス」による戦略的なビジネス上での決定に直接関係していました。この国際的な会社は2015年にオランダの工場を閉鎖し、リトアニアのクライペダに生産拠点を移動させました。そうしたことでリトアニアの支店は増え、そして主に日本へ向けての輸出が始まりました。

タバコの輸出の劇的な成長は統計上大きな飛躍を見せました。2018年、日本への輸出は2017年と比べて136%増加し、合計で2億9千万ドルにも及びました。上位 9 つの輸出支店の残りの合計は、5600万ドルでした。しかしながら、日本が従来のたばこ製品から新しいたばこ製品に移行し始めたことを受け、リトアニアの日本への輸出は 2019 年に急落しました。

投資

リトアニアへの日本の投資における両国間の協力体制はあまり発展しませんでした。2020年の投資額は121万ユーロとなっており、日本は104番目となっています。それにもかかわらず、中には「富士通」、「日立」、「パナソニック」などの大企業が大規模インフラ整備プロジェクトに興味を持ちました。電線やクライペダの深海港の設備などが例として挙げられます。また、「日立」はビサギナス原子力発電所への投資も検討していました。

(日本企業代表団がカウナスへ、2019年 写真:カウナス市役所所蔵)

観光

観光は、国と国の間で発展しているもう一つの分野です。2008年から2018年にかけて観光客数は4倍に増え、28,000人を超えました。これに対し、日本におけるリトアニア人観光客数は、2016年に4303人でした。最近、COVID-19のパンデミックにより、観光産業に大きな変化が起こりました。その結果、日本に到着する日本人観光客の数、日本に行くリトアニア人の量は非常に激減しました。例えば、2020年にリトアニアを訪れた日本人観光客はわずか2066人で、2019年中に比べて93%減となりました。

(日本人観光客にカウナスを紹介する冊子、2019年 写真:Aurelijus Zykas所蔵)

(2011年、杉原記念館の前で撮影された日本人観光客 写真:AzijaLT所蔵)

文化の特異性により、日本の観光客は高齢の団体であることが極めて多く、バルト三国全てを含む旅行パッケージを利用する傾向にあります。時にはサンクトペテルブルク、フィンランド、またはポーランドもこれらのパッケージに含まれることもあります。一般的に2、3日をリトアニアで過ごし、数都市を訪れる時間があります。最も人気の観光スポットはユネスコ世界遺産にも登録されているヴィリニュスの旧市街、カウナスの杉原千畝記念館、そして十字架の丘です。また、観光客の層を変えたり、(若者や失業中の女性を引き付け)、新しい目的地(海辺やリゾートなど)や冬の体験を提供する試みなどもあります。

日本は物価の高い国としてよく知られていました。ここ数十年ではその区別が段々となくなり、より多くのリトアニア人は日本を観光の目的地に選ぶようになりました。リトアニアの人々は個人、もしくはグループで観光し、最も人気な季節は桜が満開になる3月から4月にかけて、または秋の10月から11月にかけてです。リトアニアの観光客グループは大体2週間を日本で過ごし、首都である東京、京都などの古い都市、広島や姫路城、金沢、日光、そして山など、その他観光地を訪れます。

(京都の二条城を訪れるリトアニア人観光客、2019年 写真:Judita Židžiūnienė)

観光業の発展の大きな要因として、旅行に関する知識を身につけ、旅行に行きたいと思わせるような出版物の存在が挙げられ、リトアニアは旅行先の一つとしてよく紹介されます。「地球の歩き方」による「バルト三国」は1996年より出版され続け、リトアニアの観光スポットについて詳細に紹介されており、今もなお定期的に更新されています。また、過去10年にリトアニアに関する本や影響力のある雑誌の記事も出版されました。それらの本や記事は場所や食文化、リトアニアの伝統的な工芸品を紹介しています。

書誌情報

Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
Fri ‒ Mon: 09am ‒ 05pm

Adults: $25
Children & Students free

673 12 Constitution Lane Massillon
781-562-9355, 781-727-6090