リトアニアでの日本のイベントと空間

本や展示、劇場公演、コンサート、映画など、様々な形で日本の文化をリトアニアでは感じることができます。両国は地理的、文化的にも大きく異なりますが、1990年代ごろからリトアニアでの日本への関心は高まっているようです。ソ連時代の最後の10年の間と独立後の数年間、リトアニアの人々にとってエキゾチックであるとされた日本文化への逃避は、社会的リアリズムの文化から逃れる手段でした。そのため、1995年に開催された日本に関する初めてのイベント、日本文化ウィークは大きな反響を呼びました。

最初の試みの後、たくさんの定期的なお祭りがヴィリニュス、カウナス、アリタスを始めとするリトアニアの各地で発展していきました。これらはリトアニアの人々に日本文化を紹介するための最も人気のイベントとなりました。この日本文化への関心はリトアニアの他の場所にも大きな痕跡を残しました。公共と個人の所有物を含め、日本様式の庭や桜のある公園が各地に現れたのです。これらは文化的催し、また異なる文化との交流、理解し合う場として重要な役割を担っています。

(ビリニュスの湧水が流れる日本庭園「清心園」 写真:Japonijos kultūros namai)

リトアニアにおいて日本文化の普及を目指す様々な機関がこれらのイベントや活動を支援しています。ヴィリニュスにある日本大使館の文化センター、カウナスのヴィータウタス・マグヌス大学内にあるアジア研究センター、ヴィリニュスのアジア芸術センターなどが例として挙げられます。ヴィリニュスの「ゆかり」や日本文化ホーム、アリタスの盆栽園「先生」、カウナスの「Azija LT」など、多くの活動が個人起業家によって発展し、これらは日本語講座、その他イベントを開催しました。

最も重要なお祭

(2017年の「杉原ウィーク」閉会式 写真:AzijaLT)

リトアニアでは多くの文化イベントが日本へ捧げられ、それらは様々な自治体、博物館、その他の文化機関によって運営されています。大規模なイベントは様々な地域から多くの人を惹きつけ、そして日本文化を単に広めるだけでなく、リトアニアと日本の芸術家間での創造的なプロジェクトの発展へとつながる場を提供しました。伝統を大切にし、多かれ少なかれ定期的に開催されているお祭りもあり、リトアニア文化を形作っています。

「日本の文化週間」とは、リトアニア独立から最初の10年間、一躍有名になった現象で、リトアニアと日本の協会、そして日本と観光情報センターによって運営、1995年9月に第1回目が開催されました。これに参加するため、46 人のプロ、アマチュアアーティストを含む代表団がリトアニアを訪問しました。日本の音楽、ダンス、生花、茶道、絵画、盆栽など様々な日本文化が紹介されました。

2000年5月にはリトアニア極真空手協会のロマス・ヴィトカウカス会長主催により第2回が開催されました。日本版画、現代グラフィック、書道の展示、生花、講演会、音楽コンサートが含まれていました。

(新聞「Diena」、1995年9月4日)

「East-East」(東-東、リトアニア語で「Rytai-Rytai」)はカウナスで開催されたリトアニアと日本の建築に関するお祭りです。この題名はリトアニアがヨーロッパの東に、また日本はアジアの東に位置していることから由来しています。リトアニアと日本建築の交流の礎を築いた外交官、ダイニウス・カマイティスを筆頭に始まり、2002年に第1回目が開催されました。2009 年、2011 年、2013 年にはリトアニア建築家協会と日本建築家協会と協力の下、リトアニアと日本の建築家の間の対話が実施されました。このお祭りの期間中、日本とリトアニアの建築家間での展示会、講座、学生向けのワークショップが開催されました。

(Rytai-Rytai III、東京 写真:Lietuvos architektų sąjunga / M. Šiupšinskas)

(盆栽の展示会 写真:AzijaLT)

ケーストゥティス・プタカウスカスによって始まった展示会であり、盆栽、日本の鯉、そして水石文化を紹介することが目的とされました。もとはアリタスで開催された盆栽の小さな国際展示会でしたが、その後その他多くの日本文化を紹介する大規模なイベントへと発展しました。そして2015 年、ビリニュスのリトアニア展示会議場 LITEXPO への開催を機に、最高潮に達しました。日本人はリトアニアの人々の関心を賞賛し、セラミック、剣、書道、生花、茶道、着物、映画など、数多くの芸術を紹介しました。2006年より同様の展示がクライペダやアリタスを始めとするリトアニアの都市で催されました。

これは伝統的なものから近代まで、日本の色鮮やかな文化を紹介した、リトアニアで最も大きなイベントの1つで、公共団体であるKOIが主催でした。2008年、主催者たちはコスプレを始め、さらには「ナウジャパン」が日本の文化を紹介する最も大きなイベントへと発展していきました。これはバルト海に面する国々にて日本に関する最大のイベントとなりました。

(写真:KOI)

「杉原ウィーク」は日本の外交官、杉原千畝への記憶を永続させるためにできたイベントで、日本文化の紹介や両国の芸術家間でのプロジェクトの発足を促すような役割も担いました。このお祭りはカウナスと深く関わりのある、カウナスに住む活発な市民の団体によって始まり、その後、この祭りはリトアニア中に広まりました。3回にわたって行われたお祭りの期間中(2017年、2018年、2020年)、日本文化はさまざまな形で紹介されました。各回につき展示、講義、コンサート、劇場公演を含む20〜40の異なるイベントから構成されました。

(杉原ウィークのイベント 写真:AzijaLT)

リトアニアでの日本文化の居場所

リトアニア人は、絵画や演劇、音楽よりも、自然と結びついた日本文化に惚れ込んだようです。リトアニアの人々は盆栽、生花に大きな関心を持ち、春には桜の木の下で過ごすことが人気になりました。最近では、森林浴が人気になりつつあります。

リトアニアには多くの日本式の庭があります。クレティンガの庭はヨーロッパで最大と言われ、常に更新、改築されています。ヴィリニュスにはカイレナイにあるボタニカルガーデンと市の中心にある清心園の2つの日本庭園があり、現時点でさらなる日本様式の公園の建設が予定されています。これら公共で人気のある庭の近くには、小さなものから大きなものまで、いくつもの個人所有の日本庭園もあります。

 

(クライペダの日本庭園 写真:Laura Popkytė-Fukumoto)

(日本庭園 写真:V. Ščiavinskas)

クレティンガ地方の日本庭園は独特で、16ヘクタールもの広さを持ち、ヨーロッパでは最も大きいとされています。1000を超える盆栽、石、桜の木、池、そして茶室のコレクションがあります。サルーナス・カスマウスカスは子どもの頃から庭を所有することを夢見ていました。2004年、庭の師匠である渡辺さんがこの庭園に招待されました。彼のチームと共に一丸となってこの夢の実現に向けて取り組み、2007年10月10日、空き地に庭を作り始めました。

2010年1月に東京で開催された代表的なイベントの後、日本の盆栽生産者数人が 700 本の盆栽を提供しました。樹齢は 4〜年から180年と、幅広く揃っています。

(写真:VU Botanikos sodas)

ヴィリニュス大学の植物園の中には0.5ヘクタールほどの日本庭園が存在します。渡辺一とつのだひろし、この2人のデザイナーは2003年の計画の原案を考案し、大きく貢献しました。

このプロジェクトは在リトアニア日本国大使館、ビリニュス市、リトアニア教育・科学・スポーツ省、リトアニア政府、その他のスポンサーの支援のもと実施されました。

(写真:Japonijos namai)

ヴィリニュスの中心街のコスチウスコス通りには、天然水が湧き出る庭があります。これは芸術家のダリア・ドクシャイテによって作られ、ラウラ・ポップキテ・フクモトは日本の古都である京都の日本庭園で働きました。彼女は2016年から2018年まで、北山安夫の支援を受けながら、この清心園設立プロジェクトを準備、実行しました。また、多くの個人および法人がこのプロジェクトに協賛しました。2020年の秋には、この日本庭園はビリニュスの自治体に寄付されました。

季節性、シンプルさ、調和、環境との自然な関わり合い、水、木、岩への敬意など、このプロジェクトはこれら日本固有の美しさの基準に適合しています。庭園の主なスポンサーである京都の高台寺の僧侶たちは、この庭園がリトアニアの人々にとって日本の文化、美学、自然についての学びの手助けになると期待しています。

(写真:K. Ptakauskas、A. Zykas)

ケーストゥティス・プタカウスカスは30年以上にわたって盆栽に興味を持ち、様々なイベントを通じて日本文化を紹介しました。彼は国際展に出展し、盆栽学校の校長を務めました。この盆栽学校では、芸術に興味を持った人々に自身の経験を共有し、2017年には日本政府より旭日章を受勲しました。

ケーストゥティスの私有地にある朝露の小さな庭には、小さな橋のある小川、鯉が泳ぐ大きな池、そして盆栽の別の庭があります。ケーストゥティス・プタカウスカスはある1枚の絵に強く惹かれたことをきっかけに、この庭園を作ることを決心しました。その後、この庭園は彼にとって平和と創造の場のような存在となりました。さらにはアリートゥスの観光スポットにもなり、日本に関心を持つ人々が海外からも足を運ぶようになりました。

(写真:Valdas Astrauskas)

数十年前、ヴァルダス・アストラウスカスはシルヴィントス地区に土地を購入し、日本風の村を作り始めました。彼は日本を訪れたことがありませんでしたが、日本に惚れ込み、日本の伝統的な木造建築とデザインに関する情報を集め始めました。そして、地元の材料を使用し、日本の伝統技術である本館、門、橋、ランプ、井戸、さらには日本の浴場を建設しました。

日本人はヴァルダスの作品に興味関心を持ち、彼の複数の作品がテレビ東京の番組で紹介されました。2018年、ヴァルダスは日本に招待され、伝統的な村・五赤山を訪れ、地元の大工や職人と交流しました。その後、日本の大工、職人がリトアニアに住むヴァルダスを訪れ、伝統的な和室の畳の設置の手伝いをしました。

リトアニアの桜の木のある公園

リトアニアで最初の桜の木の公園は、2005年にヴィリニュスでつくられました。この公園の主な発案者はリマンタス・ヴァイトクスで、公園を「杉原千畝 桜公園」と名づけました。彼の貢献により、日本の桜の木はリトアニア人の間で桜の木として知られるようになりました。リトアニアでは桜の木の公園がますます増えています。

(写真:Milda Kraśko、Aurelijus Zykas)

リトアニアにある公共の日本庭園や公園を示した地図です。

書誌情報

Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
Fri ‒ Mon: 09am ‒ 05pm

Adults: $25
Children & Students free

673 12 Constitution Lane Massillon
781-562-9355, 781-727-6090