文化のハーモニー

舞台と音楽の交流

演劇、ダンス、音楽は調和を創り出します。しかし、芸術は意義深い物語を伝えることもでき、こと共同プロジェクトにおいては、比喩、音、イメージという世界共通言語を通じて、2つの国のアーティストたちを結びつけることができるものです。リトアニアは演劇と音楽の豊かな伝統を大切にしており、そのプロフェッショナリズムが日本の観客たちを魅了しています。一方、日本はリトアニアの人々に、面を使った舞台芸術である能や、豊かな表現を持つ歌舞伎、神聖な舞の神楽など、千年以上の伝統を持つ演劇や音楽のあり方を見せています。

(岐阜市で公園するカウナス工科大学のアンサンブル「Nemunas」、2018年 写真:AzijaLT)

劇団銅鑼

東京にある劇団銅鑼と、そのプロデューサーを務める坂部和美は、日本とリトアニアの演劇関係の促進に大きく貢献しました。1993年に初めてリトアニアを訪れ、彼女の考案したこの劇場ができたことにより、両国間でのディレクターや俳優の共演や交換が行われるようになりました。

劇団銅鑼は1992年に「センポ・スギハラ」の演劇とともに立ち上がりました。それに続き、劇団はリトアニアの監督イグナス・ジョニナスを演劇のトレーニングに招待したり、2005年にはヴァイトカス.J が、劇団銅鑼の俳優たちと一緒に演劇「嵐の中の桜」(リトアニア語で “Sakura Vėtroje”)を上演しました。

(「センポ・スギハラ」のポスター 写真:Japan Digital Theatre Archives)

センポ・スギハラ

1992年上演、リトアニアを題材とした、劇団銅鑼の初演「杉原千畝」は彼の功績を描いた作品です。初演は東京のRNホールで行われ、その後、日本とリトアニアの様々な場所で350回以上にわたって上映されました。この演劇は杉原千畝の知名度が上がり、1996年には杉原千畝に関するもう1つのパフォーマンスである、「カウナスの夏」、また2009年には「センポ・スギハラ。再夏へ」が公開されました。

(「センポ・スギハラ」のポスター 写真:Ojaras Mašidlauskas)

嵐の中の桜

プロデューサーの坂部和夫と劇団銅鑼の演出家である田辺は、戦後の収容所でリトアニアと日本の女性が友好関係にあったことを聞き、パフォーマンス「嵐の中の桜」(リトアニア語で"Sakura Vėtroje")を上演することを思いつきました。この物語自体はフィクションですが、実際に存在する出来事に基づいており、音楽、ステージの動き、印象的な映像に満ち溢れています。一見異なるように見える日本とリトアニアの文化が、不思議と密接に絡まり、見る人が予想できないようなカラフルな方法で表現されています。

 

パフォーマンスの中で、日本人とリトアニア人はマルディグラの儀式、アルミ製の刑務所で使われていたカップを使った茶道、扇子を持って踊る侍ダンスなど、神話を発見します。また、劇中に日本の歌とリトアニアの詩篇が音楽的背景として使われています。

 

2004年4月に東京の俳優座劇場で初回公演が行われ、2005年の秋にはヴィリニュス、カウナス、クライペダでも公演が始まりました。

(演劇のポスター Japan Digital Theatre Archives

リトアニアでの日本の劇場

リトアニアの観客の日本の劇場との関わりは人それぞれ、多様です。独立から30年の間、歌舞伎、能、狂言などの伝統的な日本の演劇形式に親しみました。リトアニアの演出家は日本の持つ演出が好きで、三島由紀夫は大きな人気のある日本の劇作家の1人です。

 

(カウナスの公演を終えた伊藤しょうこ、2020年10月

写真:AzijaLT)

リトアニアの観客が伝統的な日本の演劇に初めて触れたのは、1999 年の秋に劇団「喜勝会」がビリニュスに到着したときのことです。「葵上」、「羽衣」の2つの公演が狂言を題材にした漫画である「雷」の引用とともに行われました。そうすることで、リトアニアの観客は歌舞伎の伝統を知ることができました。

(人形師のホリ・ヒロシ、2014年の公園)

日本の演劇は日本人劇作家の作品を通じ、リトアニアへ伝わりました。最初の試みは、カウナス州立アカデミックドラマシアターで上演された、宮本研のコメディー「Exile the Old Women」と、深沢七郎の戯曲「楢山節考」でした。これら公演のインスピレーションとなったのは、日本の劇団銅鑼です。初演は「ジャパンナイト」と呼ばれ、1995年の18日と19日に行われました。

三島由紀夫は、リトアニアの演出家の中で最も人気のある日本人作家の 1 人であり、彼の戯曲や散文作品はヨナス・ヴァイトクス、セザリス・グラウジニス、 エグレ・ミクリオニテなどによって上演されました。ガビヤ・チェプリオニテはこの作家の戯曲を積極的にリトアニア語に翻訳しています。

(「ジャパンナイト」の小冊子 写真:AzijaLT)

この公演は日本の劇作家、八代誠一の戯曲に基づく18 世紀の日本の禅僧である良寛と芸者の恋模様を描いた作品であり、ケーストゥティス・マーチュリナスが演出を担当しました。初回公演は1996年2月に行われ、リトアニアと日本の両国でツアーが行われました。舞台は高く評価され、ユネスコ内村賞を含む国際的な賞も受賞しました。

(ヤヤとしてのE.ミクリョニーテ 写真:Dmitrij Matvejev © LATGA, 2020)

この劇は日本作家の三島由紀夫の作品「金閣寺」に基づいており、1950 年代に禅僧が京都建築の傑作である 7 世紀の金閣寺を焼き払った、実際の事件が題材となっています。この劇中での修道士の性格の表現が、2001年より韓国の禅僧をしているリトアニアの俳優 K. マルチュリナスに影響を与えました。このパフォーマンス第1回公演は2018年5月15日にアリートゥスで行われ、その後カウナスとヴィリニュスでも披露されました。

(公演中のK.マルチュリナス)

日系アメリカ人の作家ジュリー・オオツカが創作したこの作品は、20世紀の日系移民の実話と運命を描いた小説に基づいています。劇の創作者で演出家のビルテ・マールは日本の伝統演劇を学び、この公演の中にも取り入れられています。初回公演は、2019年9月11日にキャサリン教会で行われました。

(演劇のポスター 写真:AzijaLT)

音楽を通じての交流

(ルータ・ペンティオキナイテーとメルーナスが「キャンディ・キャンディ」の演奏、2010年)

音楽は地球にいる全ての人々誰もが理解しやすい国際言語の1つであり、様々な形態の音楽活動が日本とリトアニアの文化交流の発展のためにと、盛んに行われています。これまで、両国はクラシック、伝統音楽、ポップスなどの音楽を通じてお互いについて知るようになりました。

 

リトアニア国立交響楽団、リトアニア室内管弦楽団、国立オペラ劇場バレエ団、各自治体、大学、学校の演奏者が日本で何度もコンサートを行いました。リトアニアの演奏者の持つ才能と演奏の質の高さに、多くの日本の聴衆は感動しました。これらのコンサートは、リトアニアにとってM.K.チュルリョーニスやB.ドヴァリオナスなどの作曲家を日本人へ知ってもらう機会でもありました。

リトアニアでは、日本人作曲家の作品も演奏されています。例えば、1999年にはペトラス・ゲニューシャスとライムンダス・カティリョスが、現代日本の作曲家のための音楽プログラムを用意しました。武満徹、湯浅譲二、吉松隆、池辺晋一郎などの作品が演奏されました。

(東京で、2005年 写真:AzijaLT)

(「AKchoir」がリトアニアの歌「Mano kraštas」を演奏、2018年

合唱はリトアニアと日本の間で最も人気のある音楽交流の1つです。「Varpelis」、「Virgo」、「Viva Voce」をはじめとする多くのリトアニア青年合唱団が日本でコンサートを開催しました。岐阜ウィーン合唱団を含む日本の合唱団も頻繁にリトアニアを訪れ、発表を行いました。2018年、日本の男声合唱団ヨルダン会は、リトアニア歌謡祭にリトアニアの歌で出場しました。

合唱団は、2002年から日本・リトアニア友好協会(JALFA)がほぼ毎年開催している日本・リトアニアのチャリティーコンサートに頻繁に参加しています。リトアニアの腫瘍性疾患の子供たちと日本の津波被害者を支援することを目的としており、日本のアーティストは私費でこのイベントに参加します。

国内での多くの日本文化に関するイベントの開催により、リトアニアの聴衆は箏や三味線、尺八、三線などの伝統的な日本の楽器について詳しくなりました。和太鼓のコンサートは予想を上回る人気を誇り、頻繁に開催されました。日本の伝統音楽に感銘を受けたリトアニアの音楽家の中には、上記に挙げたような伝統的な楽器を学んだ人もいます。その中の1人、ゲディミナス・セデレヴィチウスは尺八を学び、演奏しています。

(和太鼓大元組の演奏、2017年9月 写真:AzijaLT)

クラシック音楽に加え、日本の聴衆はエキゾチックなリトアニアの民謡とダンスにも夢中になりました。アンサンブル「Lietuva」は20世紀の終わり、1982年に日本を訪れ、リトアニアの民謡とダンスを初めて披露しました。

リトアニアの独立後、民族音楽と舞踊は国の記念プログラムに公式イベントとして扱われることが多くなりました。最も重要とされたのは2005年7月に東京で披露されたベロニカ・ポビリオニエネによるパフォーマンス、2018年に岐阜県で行われた「Nemunas」、そして2019年8月に岐阜県で行われたコンサート「Suktinis」です。

 

(東京でのV.ポビリオニエネの演奏、2005年 写真:AzijaLT)

杉原千畝の功績が日本とリトアニアを繋いだという事実は劇、本そして映画を通して紹介されました。それに加えて音楽もこの話を伝える1つの方法となっており、その代表の1つが日本のオペラ「杉原千畝 桜の望」で、初回公演は2015年ヴィリニュスの国立演劇劇場で行われました。ミュージカル「センポ-日本のシンドラー、杉原の伝説」も、2008年に東京で初回公演が行われた、杉原千畝の功績を讃えた作品の1つです。2014年1月5日、クラッシック音楽の一種である聖譚曲(せいたんきょく)「桜の思い出」の初回公演が、学術演劇劇場で行われました。この作品は演出家のS. イコ、作曲家のA. ゴンダイ、また台本作家の R. スタンケヴィチュス3名が共同で作成し、リトアニアと日本のソロリストやミュージシャンによって演奏されました。

日本のダンス

日本舞踊における芸術はリトアニアでも見つけることができ、リトアニアの観客は伝統と現代の両方を体験しました。日本舞踊の伝統は、地元の舞踊団の日本人出身のダンサーを通じてもたらされ、カウナスダンス劇場 “Aura”でパフォーマンスを行った織田きりえと松本奈津子はその中の2人です。バレリーナの浜中美紀はリトアニアで有名になり、ヴィリニュスオペラ・バレエ劇場で長い間に渡って演技を披露しました。現代のダンスを代表するダンサーたちは、国際的なダンスフェスティバル「Aura」に何度も出場しました。

(織田きりえによるモダンダンス、2017年 写真:AzijaLT)

花崎 杜季女はリトアニアで日本の伝統舞踊の文化を数多くに渡って紹介する活動をし、ヴィリニュスとカウナスで江戸時代の伝統舞踊である、上方舞を披露しました。また、2017年には珍しい日本の演劇形式である儀式舞踊である、神楽も紹介されました。これは古代の楽器を用いた神道の祈りの中で披露される踊りで、1000年以上もの歴史があります。このような長い歴史を持つ伝統ですが、これを保護してきたのは限られた日本人神主のみです。そんな中2017年6月には鎌倉の八幡宮祈祷会の僧侶がリトアニアを訪問し、ヴィリニュスやスダー、クレティンガ地方の日本庭園で神楽を再現しました。

(合唱団「Ugnelė」と花咲時世がヴィリニュス大学で公演、2012年)

(儀式神楽の舞のひととき、2017年 写真:AzijaLT)

リトアニア人は、伝統舞踊とモダンダンスの要素を併せ持つ日本の現代舞踊「舞踏」に強い関心を持っています。1998年10月には山海塾一座が哲学舞踊「卵熱」のパフォーマンスがヴィリニュスにて行われ、オペラ・バレエ劇場で上演されたときには多くの観客を魅了しました。中には暗黒舞踏の要素を自身のパフォーマンスに取り入れようとしたリトアニア人ダンサーも存在し、さくらこ・さんやサンドラ・ベルノタイテなどがこの代表者です。

ヴィリニュス植物園での暗黒舞踏パフォーマンス、2018年)

書誌情報

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Children & Students free

673 12 Constitution Lane Massillon
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