線・色・形の融和

リトアニアにおける日本美術

日本美術の伝統は、様々な形でリトアニアに伝わっています。19世紀末のリトアニア貴族の個人的なコレクションの中に、すでに日本美術の品が含まれていることが確認されています。しかし、それはごく一部の幸運な者のみが手に入れることができたに過ぎませんでした。20世紀初頭には、初めての日本美術品の展覧会が開催されました。不幸にも、20世紀の戦禍や占領により、多くの美術品が破壊され、失われました。残った美術品は慎重に保管されており、人々が目にすることができるのは非常に稀な機会となっています。

1990年の独立後、展覧会やワークショップ、リトアニア在住の日本人アーティストらのおかげで、リトアニアの人々は日本美術のその伝統に接する機会により恵まれるようになりました。その機会とは、長い間人々の日本への興味を惹きつけてきた有名な木版画のことだけではありません。陶芸、彫刻、水墨画、生け花、日本刀、茶道など、リトアニアで紹介された芸術分野は多岐にわたります。また、東洋の美学に感銘を受けた多くのリトアニア人アーティストたちは、日本の伝統を自らの芸術にも取り入れていきました。

(ダリア・ドクシャイテーの墨絵、「Japonija」サイクルより 写真:D. Dokšaitė)

リトアニアにおける日本美術のコレクションと展覧会

リトアニアに初めて日本画がもたらされたのは、日本が開国した19世紀後半です。 第二次世界大戦までは、様々なリトアニア人コレクターが日本画を収集しました。 その結果、プルンゲ、シャウレイ、カウナス、クレトィンガ、そしてヴィリニュスに大小様々なコレクションが集められることになりました。 リトアニアで初めて日本美術が一般公開されたのは、1914年4月、ヴィリニュスで開催された美術展でのことだと考えられています。1990年の独立回復以降は、リトアニアで日本美術を紹介するイベントが頻繁に開催されています。

リトアニアにおける日本美術のコレクション

現在、日本美術の国内最大のコレクションは、おそらくリトアニア国立美術館のものだと考えられます。このコレクションの始まりは、戦時中のことでした。その他には、ヴィリニュス大学、ヴィリニュス芸術アカデミーにも大規模なコレクションが所蔵されています。木版画の数々はカウナス美術学校からアカデミーへ持ち込まれたものですが、元はベルリンで購入されたものです。日本の版画、絵画、花瓶、織物などは、カウナスのミーコラス・ジリンスカス美術館に保管されています。

(フレンケルヴィラの東洋美術ギャラリー)

オナ・バグニツカイテが20世紀前半に収集していた版画コレクションの大部分は、シャウレイのアウシュラ美術館に所蔵されており、展示品のうち数点はカウナスのB・スルオガ記念美術館に保管されています。これらの作品は第二次世界大戦中、博物館学者のヴラダス・ズジツカウスカスが保管していました。 クレトィンガにあるフランシスコ会は、当時アメリカに住んでいた東洋美術の専門家で神父だった収集家のレオナルダス・アンドリエクスから13枚の版画を譲渡されました。

日本の助成による移動型コレクション

国際交流基金のモバイルコレクションは、1996年から日本情報センター、その後在ヴィリニュス日本大使館によってリトアニアに運ばれています。これらはリトアニアの様々な都市のスペースで展示されています。20を超える展覧会のおかげで、リトアニアの人々は、例えば凧やコマ、ポスター、写真、工芸品、建築など、日本美術のさまざまな側面を知ることができました。

(展示のポスター 在リトアニア日本国大使館所蔵)

日本をテーマに掲げるアーティストたち

リトアニアは、展覧会やイベントを通じて、様々な日本美術の作品に触れる機会を得てきました。そして、リトアニアのアーティストの中には、日本の美学や美術における哲学の理を取り入れてきた人も少なくありません。こうした理念が、リトアニアの芸術家たちの作品に影響を与えてきたのです。1990年、リトアニアの独立が回復する直前、日本への興味と憧憬の大きな波が起こりました。当時のアーティストたちは、日本文化を知り、その原動力をなぞろうとしていました。特にリトアニア人は、日本的なグラフィックや水墨画に関心を持ち、芸術の一分野として確立させていきました。ここでは、日本をテーマに掲げたリトアニア人画家たちをご紹介します。

(イエヴァ・リアウガウダイテーの展覧会「ベントが訪れた風景」 写真:「Literatūra ir menas」新聞)

ヴィリニュス美術アカデミー在学中だった30年前に日本文化に興味を持ち、彼女は過去20年間を日本という国に捧げてきました。1995年からは墨絵と水墨画の技法を用いて作品の制作を行ってきました。日本、中国、台湾、ヨーロッパ諸国での展覧会に出品し、高い評価を得ています。リトアニア国内外でも30以上の墨絵と書道の個展を開催してきました。また、複数の国際プロジェクトにも従事しました。ドクシャイテは学会にも参加し、墨絵と書道に関するセミナーや講演会を開催する傍ら、ラジオやテレビ番組にも積極的に登場し、さらには記事の執筆も行っています。1998年に自身のアートスタジオ「墨道(リトアニア語 ”Tušo kelias")」を、2013年にはヴィリニュスに「日本文化の家」を開きました。 生徒たちはダリア・ドクシャイテの水墨画の伝統を受け継ぎ、この技法を用いて熱心に絵を描いています。

(墨絵のサイクル「Lietuva」 写真:D. Dokšaitė)

彼は元リトアニア文化大臣で日本との関わりが深い人物です。1995年から1997年まで日本の東京芸術大学で学び、2001年にはヴィータウタス・マグヌス大学で「The Emergence of the New Paradigm of Order in Nishida and Merleau-Ponty Philosophy.(西田哲学とメルロ=ポンティ哲学における秩序の新しいパラダイムの出現)」と題する学位論文を英語で提出しました。また、長年にわたり、ヴィリニュス芸術アカデミーで日本の書道と水墨画の技法を基にした絵画を教えてきました。

1996年から1997年にかけて、名古屋、東京(清水画廊)、横浜(ベリーニ画廊)にて3度個展を開催しました。彼の作品は日本の水墨画から大きな影響を受けています。さらに、リトアニアやヨーロッパで日本的な美学をベースにした作品展を繰り返し行っています。2020年には日本政府よりその功績が認められ、旭日小綬章を授与されました。

リナ・クサイテはベルギー在住のイラストレーターでエコアート教育・指導を行っています。彼女の作品は、国際的な出版物や、コンピューターゲーム、展覧会など様々な場所で目にすることができます。リナの創作活動の源となっているのは、自然と生態系です。ベルギーに移住してからは、文化的な視野がより広がり、映画、アニメーション、書籍を通じてアジアの文化をより深く知るようになりました。クリエイティブな探求と表現のすべてにおいて、リナは、奇妙奇天烈で時には不気味でさえあるものを探し求めます。作家の安部公房、アニメーターの宮崎駿、押井守、今敏、さらには農学者で哲学者の福岡正信らから大きなインスピレーションを受けています。特に福岡の業績は、人間と自然の関わりや結びつきに対するリナの認識を変化させました。自然農法という福岡の業績とその哲学に刺激を受け、リナは人間が野生とつながる必然性と植物のある社会ついて人々に伝えるために、様々な方法論やワークショップ、作品制作に没頭していきました。

(写真:Lina Kusaitė)

(写真:bernardinai.lt)

彼女は古くから伝わる技術や本物の布を取り入れながら、人形の着物を制作するアーティストです。2012年から球体関節人形のための着物を制作してきました。江戸時代の衣服やファッションの再現を目指し、本物のヴィンテージ素材を用いて着物を縫製しています。こうした作品には天然のシルクが使われ、ほとんどが手描きまたは刺繍で表現されています。作品が世界的に評価されているアーティストです。

芸術家であり陶芸家でもある彼女は、高温処理したシャモットを用い、オリジナルの木灰釉を施した彫刻作品を制作しています。彼女の作品の特徴は、自然さ、自発的表現、即興性、思考の深さであり、東洋の陶磁の美学や哲学と呼応します。禅画の技法を用いた墨絵や俳句の制作も行っています。

(写真:Rima Leipuvienė)

ヴィリニュス芸術アカデミーでフレスコ・モザイク画の修士号を取得後、ヴィリニュスを拠点に活動するアーティスト。2010年以降、リトアニア、イタリア、アメリカで20以上の作品展に出品してきました。リャウガウダイテは、西洋における戦後の抽象絵画と東アジアの書道の原理との相互作用の様々な側面を研究し、日本における禅画のユニークで自然な方向性に焦点を当て、その本質を、作り手の詩的な生命力、調和を成す構造に見出しています。

(「風は優しくあなたをダンスに誘う」絵の横にいるイエヴァ・リャウガウダイテ、2022年の展覧会「ベントが訪れた風景」 写真:I. Liaugaudaitė)

『メタボリズム|ユートピアと現実の狭間で』は、日本のメタボリズム建築にインスパイアされたコンクリート・ジュエリー・コレクションです。東京のメタボリズム建築の象徴的存在である中銀カプセルタワーや静岡センターが、日本建築の歴史を物語るシンボルとして、日本のジュエリーに生まれ変わりました。

(日本建築にインスパイアされた装身具 写真:「Statyba ir architektūra」雑誌)

1998年以降、ヴィリニュス、カウナス、ザラサイでグラフィック作品、版画、ドローイング、スケッチ、水墨画などの個展を数回開催してきました。2009年から2014年にかけて、ダリア・ドクシャイテの書道と水墨画のアートスタジオ「墨道(リトアニア語 "Tušo kelias")」の展覧会にも参加しました。薄い半紙に日本の乾漆で墨絵を描く方法を好みました。ヴァシレヴィチューテによると、「この技法は遊びながら知っていくものであり、異なるアートの言葉を専門的に理解するためのあらゆる試みでもある」のだといいます。

気まぐれなのに繊細で、繊細でありながらおおらかで、集中力と忍耐力を要します。筆は手に従わず、紙は吸収剤の如し、簡単でわかりやすい作業のように見えるその最初の感覚は欺瞞なのです。

リトアニアにおけるその他の日本美術

現代美術

(2020年の世界平和美術展 写真:リトアニア国立文化センター)

日本人は、特にその革新的な芸術と現代的な技術でよく知られています。リトアニアにおける日本の現代アートのはじまりの一つは、1996年にヴィリニュスで開催されました。クノトシヒロは、世界を旅しながら、常に同じ素材(塩、米、土、木、金属)を使い、その土地ごとの環境に適したインスタレーションを披露してきました。1997年にはタナカノリユキによる展覧会も開催されました。そのほかにも、エガミヒロシ、モリタエコ、カワサキミキオなど、多くのアーティストがリトアニアで作品を発表する機会を持ちました。

 

日本の芸術家たちのリトアニア行きをサポートしているリトアニア人の一人サウリュス・ヴァリュスは、20年以上にわたって日本とのクリエイティブな関係の維持に尽力している人物です。

彫刻

(写真:LR Seimas / Džoja Gunda Barysaitė)

彫刻に関心がある人は、リトアニアでも日本の作品を楽しむことができます。その一つが、モニュメント『月光(リトアニア語 ”Mėnulio šviesa")』です。この作品は2001年、パメンカルニョ通りのユダヤ人博物館のホロコースト展示のそばに建てられました。杉原千畝への追想として捧げられたこの作品は、日本人彫刻家の北川剛一とリトアニア人のヴラダス・ヴィルジューナスが制作しました。

 

ヴィリニュス近郊のヨーロッパ公園には、5つの日本人アーティストの作品が展示されています。

「リトアニアで強く印象に残ったのは、自然環境と未来に向かって戦う人々の力強いエネルギー。これを作品に表現したいと思った。」

中瀬康志

陶芸品

日本の陶器もリトアニア人が好む芸術の一つです。展覧会が開催されている間に作品を紹介するだけにとどまらず、リトアニアでも陶磁器を生産する伝統を作ろうという動きがあります。リトアニアで最初の古窯として、2004年に芸術家で陶芸家のドルマンテ・ステポナビチエネの発案により、トラカイ地区にあるゴユス村に穴窯が作られました。

 

また、同じく陶芸家のベアトリーチェ・ケレリエネは10年間の日本での研究を経て、2014年にヴィリニュス近郊のカラマジナイ地区にリトアニア第2の穴窯を作りました。長さは5メートルあり、焼き上げるのに5日を要します。穴窯には150点以上の陶芸作品を入れることができます。リトアニア人陶芸家や彫刻家もそこで焼成を行っています。

(B.ケレリエネの陶器カップ)

茶道

(R.ストラズディエネが行った茶会、2020年 写真:Druskininkai "Atgimimas" 学校)

茶道は、日本の様々な美術が結集した芸術の一つだといえるでしょう。陶芸、味覚、書、詩歌、建築、舞台芸術などが集約されています。私たちは、この芸術を五感で鑑賞するのです。中国から日本に伝来したお茶を飲むという伝統は、5世紀前に洗練され、大成し、世代を超えて受け継がれています。日本において、茶道とはただお茶を飲むことを意味しません。日々の生活や身の回りにある自然に思いを巡らせ、その瞬間を捉えるのです。リトアニアでは1990年から、専門家を招いて茶道を楽しむ機会が設けられています。ライモンダ・ストラズディエネをはじめ、リトアニア人の中には、日本で茶道をじっくりと学び、その伝統をリトアニアに持ち帰った人々もいます。

織物

数多くのリトアニア人テキスタイル・アーティストが、日本でインスピレーションを受けています。ミグレ・レベドニーカイテは、長期間にわたり日本で絞り絵の技法を学び、それを自身の作品に活かしています。デザイナーのオレセ・ケキエネは、日本のわびさびとうい概念にインスピレーションを感じ取りました。ヴィリュス・ヴェンツケヴィチュスは、日本が持つ「余白の美」の哲学を踏襲しています。

生け花

日本の花を飾る芸術である生け花は、日本庭園と同じく、リトアニアでも多くのファンを獲得してきました。独立後の数十年間、このはかない芸術のための展示やワークショップが数多く開催されました。2009年からは、日本大使館が生花展や講習会を開催するようになり、やがて愛好家たちが集まりはじめ、ヴィリニュス大学の植物園がイベント開催の中心地となってきました。また、日本でこの生け花の極意を学んだリトアニア人には、ライムテ・ヴァナギエネ、ラサ・ヴァルヴォリエネなどがいます。

(リトアニアで作った生け花 写真:Laura Popkytė-Fukumoto)

リトアニアにおける日本刀

リトアニア人は、日本の芸術品である刀剣に触れる機会にも恵まれました。リトアニアでは、刀は戦争に使われることが主ですが、日本では芸術品としても扱われ、作り手の技巧や金属が持つ自然な美を垣間見ることができます。リトアニア独立後、この刀剣という芸術をテーマとした展覧会が2度開催されました。1度目は2004年に日本の実業家、ノダフミノリが主催したもので、2度目は2020年にリトアニアの有名な刀剣収集家、パウリウス・ルーカスが主催したものです。

(ヴィタウタス・マグヌス戦博物館での刀剣の展覧会、2020年 写真:A. Zykas)

書誌情報

Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
Fri ‒ Mon: 09am ‒ 05pm

Adults: $25
Children & Students free

673 12 Constitution Lane Massillon
781-562-9355, 781-727-6090