日本文学の翻訳
(Azija LT所蔵)
翻訳された日本文学は、リトアニアで日本の文化を学ぶ非常に重要な方法の一つでした。20世紀初めにフィクションの翻訳が登場してから、1960年代からより多くの翻訳者がたくさんの文章を翻訳しました。当初はリトアニアで日本語を知るリトアニア人はいなかったため、翻訳者は日本文学を主にロシア語など、他の言語を介して翻訳をしていました。しかし、次第に日本語を理解する新しい世代の翻訳者が増えていきました。アルヴィダス・アリシャウスカスがこの世代の初代を代表する人物です。
21世紀になる頃には、リトアニアで日本語から文学を翻訳する翻訳者は増えていました。彼らの活動により、古典・現代作家はリトアニアの声を得ることができました。
1990年までの翻訳
ロムアルダス・ネイマンタスによると、リトアニア独立法の署名者であるサリアモナス・バナイティスが当時日本の文学作品を翻訳した1番初めの翻訳者であり、7つのおとぎ話を翻訳しました。戦時中は日本文学の翻訳はそうは多くありませんでした。1938年には徳富健次郎の「侍の娘」が出版されましたが、何語から翻訳されたのかは不明です。
ソ連時代、ほとんどの日本文学はロシア語を介して行われ、出版には特別な検閲を通過する必要がありました。当時は、高倉輝(1891-1986)のような共産主義者の作家を見つけ出す試みがありました。「豚の歌」(リトアニア語で“Kiaulės dainelė”)は1954年にスタシス・ルゼヴィチュスによってロシア語から翻訳されました。1960年を過ぎると、日本文学の翻訳は増えていき、イデオロギー化されていない翻訳、芥川龍之介や遠藤が現れました。その後、それらの翻訳は近現代文学(安部 公房、川端 康成)、戦後文学(、大江 健三郎)、フィクションや探偵のジャンル(、江戸川 乱歩、森村 泰昌)、児童文学(小川 未明、いぬい とみこ)の代表と付随して起こりました。
阿部工房はソ連時代の非常に著名な日本作家の1人で、非現実的な現代社会を悪夢のような様式を用いて表現したことで有名になり、よくフランツ・カフカと比較されました。1964年には「他人の顔」(リトアニア語で“Svetimas veidas”)、1962 年に「砂丘の中の女性」(リトアニア語で “Moteris smėlynuose”)、1973 年に「箱の男」(リトアニア語で“Žmogus dėžė” ダリア・レンカウスキーエ訳)、1991年には「カンガルーノート」(リトアニア語で“Kengūros sąsiuvinys” ガリナ・バウジテ・ツェペンキエテ訳)がリトアニア語で出版されました。
(株式会社毎日新聞社発行の「毎日グラフ」1954年9月1日号)
日本の子ども向けのおとぎ話や本は日本文学の重要な部分を形成しました。翻訳された日本文学の歴史はおとぎ話から始まったとも言えるでしょう。1907年、サリアモナス・バナイティスは7つの有名な日本のおとぎ話をロシア語から翻訳したのですが、正確性に欠けていました。リトアニアでは日本のおとぎ話集は数回にわたって出版されました。1968年に「蛇の目」(リトアニア語で“Gyvatės akys”)、1976年にアリシャウカスによって翻訳された「一寸法師」(リトアニア語で“Nykštukas Hosis”)が、1972年には「日本のおとぎ話と伝説の偉大な本」(リトアニア語で“Didžioji japonų pasakų ir legendų knyga”)、1999年にはデゥムチュスによって翻訳された「日本のおとぎ話」(リトアニア語で“Japonų pasakos”)、2012年にはクゲヴィチュテによって翻訳された「五色の鹿たち。日本のおとぎ話」、そして2014年にシェシェルギテにて翻訳された「御釈迦様の帽子」(リトアニア語で“Budos skrybelės”)が出版されました。日本のアンデルセンとして知られている小川直人、松谷正人、中川亮、乾徹など、リトアニアの子どもへ紹介された著者もいました。
古典的な文学だと認識された20世紀半ば初めの有名な日本の著者は、1960年から翻訳されてきました。リトアニアの読者は「雪国」(リトアニア語で“Sniegynų šalis”)、「千羽鶴」(リトアニア語で“Tūkstančiai gervių”)、「山の音」(リトアニア語で“Kalno aimana”)など川端康成(1968年にノーベル文学賞を受賞)文学に親しみを持ちました。また、芥川龍之介の「日本の短編物語の父」もリトアニアの読者の間で注目を集めました。1965年には「羅生門」(リトアニア語で“Rašiomono vartai”)、2004年には「河童」(リトアニア語で“Vandenių šalyje”)が出版され、彼の短編集が新聞に掲載されたこともありました。さらに、有島武郎、、谷崎潤一郎、太宰治も人気を博しました。
ソ連時代、大多数の日本文学は神秘的で探偵的な物語で表現されていたことが多く、この形式の文学を日本で始めたとされるのが江戸川乱歩、そして1987年の「影の中の野獣」(リトアニア語で“Pabaisa tamsoje”)がリトアニアの人々にとって馴染みのあった作品でした。また、森村 泰昌、光瀬龍、小松 左京などの著者によってこのジャンルが表現されました。2005〜2007年の3部作である「リング」(リトアニア語で“Skambutis”)と2005年の〜による「黒い水」(リトアニア語で“Tamsus vanduo”)、そして2014年の東野圭吾による「容疑者Xの献身」はリトアニア独立回復後に出版されました。
アルヴィダス・アリシャウスカス
アーヴィダス・アリシャウスカスはリトアニアで日本語から直接翻訳をした1番初めの人物で、1969年からリトアニアで日本作家の紹介を行っています。彼はモスクワ州立大学で日本語を学んだものの、日本を訪れることはできませんでした。ですがその代わりに、日本語の文章の翻訳を始めたのです。彼は芥川龍之介、小川 未明、松谷武判など、合計で8つの作品を日本語からリトアニア語に翻訳しました。2012年、シャウスカスは日本との関係の発展に寄与したリトアニア人として初めて表彰されました。
(Azija LT所蔵)
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無線工学の資格を取得し、機械の品質改良をしたり、また日本の発明品に興味を持ち、日本語の学習も始めました。
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アリシャウカスはモスクワで日本語を学び、日本語を流暢に話す1人目のリトアニア人となりました。彼は技術翻訳を行い、代表団の通訳を担当しました。
1969年、彼にとって初めての短編作品である芥川龍之介の「河童」の翻訳が雑誌Nemunas”に出版されました。また、合計で8つのアリシャウカスによって翻訳された日本作品が出版されました。
(A.Savin / Wikimedia)
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独立の回復後、アリシャウカスはヴィータウタス・マグヌス大学で日本語を教え始め、カウナスの日本語学習の創設者となり、親日家の第一世代を育て上げました。また、日本企業における日本語、経営、日本人の考え方、そして人事管理に関する20以上もの科学論文を出版しました。
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2か月間のインターンシップの期間中、日本の起業家、調査員、文化人に会い、日本語教員になるための短期学習研修を修了しました。
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彼は「命のビザ」の話を広めることに貢献し、杉原千畝の妻である幸子の思い出を綴った文章をリトアニア語に翻訳しました。アリシャウカスはヴィータウタス・マグヌス大学で2008年まで日本語、日本の経営倫理、考え方についてを教えていました。その後、日本語研究センターはその活動範囲を拡大し、アジア研究の中心となりました。
(Azija LT所蔵)
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(Azija LT所蔵)
アルヴィダス・アリシャウスカスの翻訳した本:
日本は遥か遠く、未知で理解しがたい存在であると、多くの人が思うでしょう。しかしそれは日本をガラス越しに見ているようなものです。日本に住んでいない私たちからは見ることができませんが、日本人は彼らの取り巻く環境を見て、分析し、推定し、あらゆるものに関心をもちながら過ごしています。その「ガラス」を取り除くことが非常に大切なのです。
– アルヴィダス・アリシャウスカス
1990年からの日本文学の翻訳
(Azija LT所蔵)
リトアニアの独立回復後、読者は日本文学とのつながりを持ち続けました。1990年代で、英語を介した翻訳はロシア語を介したものより人気になっていました。親日家が増えるにつれ、日本語から直接翻訳しようという試みがさらに増えていきました。
1990年代には、スヴァムバリテー、デゥムチュス、ツェプリオニテら代表する日本からの新たな世代の翻訳家が成長しました。21世紀の初め、再び新たな世代の翻訳家が加わりました。彼らはデヴェナイテ、ススニテ、ポロンスカイテ、バロニア、エンチューテをはじめとするヴィリニュス大学東洋学科の卒業生でした。クゲヴィチュテ、セセルギテ、クリアウチュナスらもまた日本語の文章を翻訳しました。
ソ連時代と比べ、著者が持つ広い視野と分野によって書かれた作品は、リトアニア独立時代の日本文学をよく表しました。19世紀まで戦前、そして戦後などの古い時代に書かれた作品は翻訳され、そのほかの分野の本も同時に翻訳されました。中でも村上春樹によって翻訳された作品は非常に有名になりました。
19世紀半ばまでに書かれた日本文学はリトアニアの読者へ急速に広まり、翻訳は中間言語のロシア語と英語で行われました。清少納言による「枕草子」(リトアニア語で“Priegalvio knyga”)は 貴族・荘園文化の代表でした。沢庵宗彭による「不動智神妙録」(リトアニア語で“Nesupančiotas protas”)は宗教哲学、宮本武蔵の「五輪書」(リトアニア語で“Penkių žiedų knyga”)と山本常朝の「葉隠」(リトアニア語で“Hagakurė” )は中世の侍の文化や思想を表しました。井原西鶴の「好色五人女」(リトアニア語で“Penkios meilę pamilusios moterys”)は17世紀の都の文化を紹介しました。
この時代の日本文学を日本語から直接したものは神話の「古事記」(リトアニア語で“Kojiki”、2002年にチェプリオニテが翻訳)、「源氏物語」の一部(リトアニア語で“Sakmė apie princą Gendži”、2006年にスヴァムバリテが翻訳)など、数冊しか存在しませんでした。また、スヴァムバリテは世阿弥、武田出雲、金春禅竹などの日本の古典演劇の哲学者や劇作家の作品も翻訳しました。
第二次世界大戦後、新たな世代の日本作家が20世紀の初めの作家たちとは異なる文化を表現し、活躍しました。ソ連時代にリトアニアの読者は松本サトシ、遠藤周作、大江健三郎、、などを始めとする作者に既に馴染みがありましたが、戦後の日本文学の翻訳が本格的に流行したのは21世紀の始めでした。この世代で最も有名な作家は村上春樹です。その後、吉本ばなな、三島由紀夫、村田沙耶香、荒川弘、小川洋子、川上 弘美、柴崎友香などの作者も続いて紹介されるようになり、遠藤周作の「沈黙」(リトアニア語で“Tyla” 2008年)や大江健三郎の「個人的な体験」(リトアニア語で“Asmeninė patirtis” 2001年)などの作品も親しまれました。
村上春樹は世界で、またリトアニアで最も有名な作家の1人です。2003年に小説「羊をめぐる冒険」でデビューし、毎年のように彼の作品は出版され、中には重版されたものもありました。2021年までに23もの本が出版されました。
彼の早期の作品は英語から翻訳されましたが、2005年から日本語から直接翻訳されるようになりました。レヴァ・ススンイテ、ジューギタ・ポロンスカイテ、ガビヤ・ツェプリョニテが特に有名な翻訳家として知られました。
フィクション作品に加え、学術文献と生活に関する本は日本語から翻訳されました。最も古い例は1960年に柳田健次郎によって出版された「私の世界の革命」で、2006年からは人生の意義、禅の思想、教育や芸術、家事に関する作品が現れ始めました。
日本のディアスポラ文学はリトアニア語にも翻訳されました。中には日本の名前を持つ作者もいましたが、自身のことを日本人ではなく、イギリス人、あるいはアメリカ人であると考えていました。しかし、次第に彼らの文学の中にも日本らしさが現れてきました。2017年にノーベル文学賞を受賞した石黒一雄は最も有名な著者の1人であり、4つのもの作品がリトアニア語に翻訳されました。翻訳されたディアスポラに関する作家の中には大塚ジュリー、大関ルース、そしてはなぎはらハンヤなど、アメリカ人作家も含まれていました。
日本の詩の翻訳
日本の詩を翻訳しようという初めての試みは1920年でした。バリス・スルオガは12つの日本の短歌をロシア語から翻訳しました。戦時中、詩はジュリス・ナビウリスによって、またソ連時代にはシギタス・ゲダ、ヨナス・ヤクスタス、ヴィータウタス・カラリウス、コスタス・コーサカス、バルダス・バルツシェヴィチュスなどによって翻訳されました。独立回復後は1991年、1992年、1999年に翻訳された詩集が出版され、ヴィータウタス・デゥムチュスが日本語の翻訳者として特に有名です。
(Azija LT所蔵)
ヴィータウタス・デゥムチュス
ヴィータウタス・デゥムチュスは初めての日本の古典詩の翻訳者であり、百人一首を始め、数多くの短歌や俳句を翻訳しました。彼の活躍により、リトアニアに俳句の魅力が広まりました。それに加え、国際俳句大会への貢献、またリトアニアにて俳句に興味を持つ人が集うコミュニティを拡大させるなど、デゥムチュスは俳句とその伝統を有名にするための重要な役割を担いました。2016年には日本政府によって朝日賞が授与されました。
(駐日リトアニア共和国大使館所蔵)
アルトゥーラス・シランスカス
思想家で外交官、また日本文化、特に俳句と川柳のファンであり、リトアニア人作家の俳句集「風の家」(リトアニア語で「Vėjo namai」2009年)と「風の刃」(リトアニア語で “Vėjo ašmenys” 2019年)を編纂し、俳句と川柳の本「下弦の月」(リトアニア語で“Dylantis mėnuo” 2016年)を出版しました。また、彼は俳句をリトアニア語、英語、ロシア語の3カ国語で翻訳をし、国際オンライン出版にて出版されました。さらに、いくつもの国際大会で優勝しました。
(Azija LT所蔵)
書誌情報
- Neimantas, Romualdas. 1988. Rytai ir Lietuva. Vilnius: Mintis.
- Neimantas, Romualdas. 2003. Nuo Nemuno iki Fudzijamos. Kaunas: Spindulys.
- Andrijauskas, Antanas. 2012. Orientalistikos atgimimas Lietuvoje (1977–1992): orientalizmo transformacijos į orientalistiką pradžia. Rytų Azijos studijos Lietuvoje (sud. Aurelijus Zykas). Kaunas: Vytauto Didžiojo Universiteto leidykla, p. 19-54.
- Koma, Kyoko. 2012. Exoticism, or a Device Reflecting Self-Identity? The Role of Japanese Novels Translated into Lithuanian. Rytų Azijos studijos Lietuvoje (sud. Aurelijus Zykas). Kaunas: Vytauto Didžiojo Universiteto leidykla, p. 103-114.
- Polonskaitė, Jurgita. 2014. Šiuolaikinės japonų literatūros vardai Lietuvoje.
- Žukauskienė-Čepulionytė, Gabija. 2001. Dešimties metų Lietuvos ir Japonijos kultūros ryšių apžvalga. Mokslas ir gyvenimas, spalis.
- Andrijauskas, Antanas. 2004. Istoriniai lietuviškosios Rytų recepcijos ir orientalizmo pokyčiai. Kultūros, filosofijos ir meno profiliai (rytai-vakarai-Lietuva). Vilnius: Kultūros, filosofijos ir meno institutas, p. 422-436.
- Tumasonytė, Jurga. Gabija Čepulionytė: „Esu klasikinės Japonijos gerbėja“. Lietuvos leidėjų asociacija.