より近く、より親しく

1991年からの外交関係

日本は1991年9月6日にリトアニア共和国を承認し、10月10日に国交を復活させました。両国お互いによる関心が非常に強かったことが、リトアニアと日本の代表が定期的・頻繁に行き来していたこと、同意書への署名、また実施中の行事の存在によってよく現れています。その中でも特に際立っているのが、日本の明仁天皇と美智子皇后の訪問です。

(日リトアニア外交関係開設25周年(2016年)ロゴマーク「より近く、より親しく」)

高貴な訪問

国交回復の最初の10年間、日本とリトアニア間での注目すべき高貴な会談が数回に渡って行われました。それらによって2国間の関係は経済面を中心に加速し、多国間協力における交渉が実施され、最終的には協定が調印されたのです。2000年のビザ免除協定、2018年の二重課税の排除に関する協定、2019年のワーキングホリデー制度に関する政府間協定がそれにあたります。

(2019年に岐阜県を訪問するG.ナウセダ大統領、写真:リトアニア共和国大統領府所蔵)

(鈴木宗男とA.サウダルガス LCVA 0-119222)

1991年10月5日から7日にかけて日本の外務副大臣であった鈴木宗男はリトアニアを訪れ、外務大臣のA.サウダルガスに歓迎されました。同じ月の16日から19日にかけて、総理大臣のG.ヴァグノリウスは日本を訪れ、当時の日本の総理である海部俊樹に会いました。

1992年5月3日から10日にかけて、最高評議会議長であったV.ランズベルギスが日本を訪れ、明仁天皇、宮澤喜一、そして前総理大臣の中曽根康弘に会いました。

1993年9月17日から22日にかけて、総理大臣のA.スレゼヴィチュスも日本を訪れ、当時の総理大臣であった細川護煕に会いました。また、岐阜県を訪れた際には杉原千畝の功績を讃え、そこでは前総理大臣の竹下登に迎えられました。

1995年の10月には大統領顧問であるJ.パレツキスが、日本の外務省を訪問しました。

(A.ブラザウスカス大統領と明仁天皇 写真:リトアニア共和国大統領府所蔵)

1997年5月12日から15日にかけて日本への訪問中、A.ブラザウスカス大統領は明仁天皇、また橋本龍太郎総理大臣に会いました。

1998年6月にはリトアニア日本友好議員連盟会長であるJ・ラズマが日本を訪れました。

1999年5月16日から18日にかけて、外務大臣であるA.サウダラガスが訪日しました。

2000年の2月24日にはビザ自由化に関する政府間協定が調印されました。

(A.ブラザウスカスと小泉純一郎 写真:ロイター)

2001年4月8日から13日にかけて、V.アダムクス大統領が訪日し、明仁天皇と森喜朗総理大臣に会いました。

2004年3月にはセイマス議長であるA.パウラウスカスが東京を訪れ、小泉純一郎総理大臣に会いました。

2005年7月3日から8日にかけて、A.ブラザウスカス首相が日本を訪れ、明仁天皇と小泉純一郎総理大臣に会いました。

(V.アダムクス大統領と明仁天皇陛下 写真:リトアニア共和国大統領府所蔵)

2006年5月には外務大臣の麻生太郎がリトアニアを訪れました。

2006年8月30日から9月1日にかけて日本での滞在期間中、首相のG.キルキラスは小泉純一郎総理大臣と会いました。

2007年5月26日から27日にかけて、明仁天皇陛下と美智子皇后がリトアニアを訪れ、V.アダムクス大統領に会いました。

2010年11月3日から5日にかけて、外務大臣のA.アジュバリスが日本を訪れました。

(A.クビリュスと野田佳彦の会談 写真:内閣官房所蔵)

2011年10月4日から10日にかけて、リトアニア立法府であるセイマスの議長であるI.デグティエネは日本を訪れ、衆議院議長である横路孝弘と会談しました。

2012年の2月18日から23日にかけて、当時首相であったA.クビリュスは日本を訪れました。

2014年3月11日から15日にかけて、外務省のL.リンケヴィチュスが日本を訪れ、のちに首相にもなった、当時の外務大臣である岸田文雄とも会談しました。

2014年7月13日から16日にかけて、山崎正明参議院議長がリトアニアを訪問し、D.グリバウスカイテ大統領と会談しました。

(安倍晋三首相とD.グリバウスカイテ大統領 写真:リトアニア共和国大統領府所蔵)

2016年2月28日から3月5日にかけて、セイマスの議長であったL.グラウジニエネは日本を訪問し、安倍晋三元首相と会談しました。

2017年5月6日から10日にかけて、L.リンケヴィチュス外務大臣が来日しました。

2017年7月13日には政府間での二重課税を回避するための協定が調印されました。

2018年1月13日から14日にかけて、安倍晋三首相がリトアニアを訪問し、D.グリバウスカイテ大統領とS.スクヴェルネリス首相に歓迎された。

2018年10月9日から12日にかけて、当時リトアニアの首相であったS.スクヴェルネリスは日本を訪問しました。

2019年10月21日から24日にかけて、G.ナウセダ大統領が日本を訪れ、徳仁新天皇の就任式に出席しました。

(I.シモニーテ首相と茂木敏充外務大臣 写真:リトアニア首相府所蔵)

2021年7月3日には外務省の茂木敏充がリトアニアを訪れました。

2022年6月6日から7日にかけて、G.ランズベルギス外務大臣が来日し、松野博一官房長官、鈴木貴子外交政策担当国務長官、中曽根弘文リトアニア日本友好議員連盟会長と会談した。

2022年10月25日から28日にかけて、I.シモニーテ首相が来日しました。岸田文雄首相との会談では、政府首脳が戦略的パートナーシップに関する共同声明を発表しました。

2023年5月15日から17日にかけて、G.ランズベルギス外務大臣が来日し、林芳正外務大臣、河野太郎デジタル大臣、中曽根弘文リトアニア日本友好議員連盟会長と会談した。

2023年7月11日から12日にかけて、岸田文雄首相がリトアニアを訪問し、G.ナウセダ大統領、I.シモニーテ首相と会談したほか、ヴィリニュスで開催されたNATO首脳会議に出席した。

リトアニア日本友好議員連盟

日本議会におけるリトアニア日本友好議員連盟は須藤隆也大使の発案のもと、1996年7月に結成されました。参議院の有力議員で元労働大臣の村上正邦氏が団長となり、総勢60名を超える国会議員により構成されました。日本との議会間関係グループはその少し後の1997年にリトアニアのセイマスにて設立され、30人の国会議員、また初めの数年はJ.ラズマが会長として活躍しました。

列国議会同盟は通常、開催国の政治家や政府関係者を歓迎し、大使館と活発な関係を維持しています。1996年9月、日本の国会議員団が初めてリトアニアを訪れました。代表団はA.ブラザウスカス大統領とČ.ユルシェーナス国会議長に迎えられました。1年後の1997年7月、村上正邦氏を団長とする日本の国会議員が再びリトアニアを訪問しました。リトアニアから日本へは、国民議会議長や議員が何度も渡航していました。

 

(L.リンケヴィチュスと中曽根弘文 写真:駐日リトアニア共和国大使館所蔵)

大使

(在リトアニア日本国大使館 写真:Fotodiena / Žygimantas Gedvila)

(V.アダムクス大統領と明石美代子大使 写真:リトアニア共和国大統領府所蔵)

日本は1997年2月11日、ヴィリニュスに日本大使館を公式に開設しました。臨時として一時期はヴィブルスキョ通り6ー8に置かれましたが、1998年末に現在の所在地であるチウリオノ通り82に移動しました。ヴィリニュスの日本情報センターに勤めていたガビヤ・チェプリョニーテはヴィリニュスの大使館に設立に大きく貢献しました。

ヴィリニュスに大使館が置かれる前とその後の数年間、リトアニア大使たちはデンマークに在住しました。明石美代子外交官は2008年日本初のヴィリニュス駐在大使となりました。

(駐日リトアニア共和国大使館 写真:Wikimedia/Syced)

(A.クジス大使、2005年 写真:内閣総理大臣官所蔵)

東京でのリトアニア大使館の設立は資金不足により遅れてしまいました。1998年、一時代理大使ダイニウス・カマイティスのもと、ついに建設の第1段階がスタートしました。彼は2001年12月17日に初代大使アルギルダス・クドジスが任命されるまで、3 年以上に渡ってこの任務を担当していました。

リトアニア大使館は1999年初めには東京の六本木地区にあり、2003年春に世田谷区に移転、そして2007年7月、港区元麻布地区に置かれることになりました。この港区には欧州連合やその他の国際機関、また多くの国々の大使館が存在します。

名誉領事

(G.ナウセダ大統領と名誉領事、その他リトアニア関係者 写真:リトアニア共和国大統領府所蔵)

名誉領事は通常、担当する国との結びつきを持ち、両国の関係構築に貢献した、特別な人物を指します。リトアニア名誉領事の歴史は1935年〜1940年の戦時中にまで遡り、当時の名誉領事館は実業家の八坂雅二たちによって運営されていました。1992年に施設は再建され、それからリトアニアは6名もの代表を日本に置きました。一方、リトアニアに日本の名誉領事は任命されませんでした。

独立回復後、1992年10月5日に日本で最初のリトアニア名誉領事館が東京に開設されました。これは、リトアニア政治家のニョレ・オジェリテとの出会いをきっかけに、新興国リトアニアに興味を持った衆議院議員、小宮山重四郎の発案によるものです。小宮山重四郎は国会議員であるため、正式に名誉領事を引き受けることができず、妻の小宮山乃理子が引き受けました。二人の努力により、1992年には東京でチュルリョーニスの作品展が開催され、学者同士の学術的なつながりができ、ビジネス関係も始まりました。しかし、残念ながら領事館の活動は短命に終わりました。1994年11月21日、小宮山重四郎が急逝し、領事館の活動は彼の死とともに消え去りました。

日本の第二の名誉領事は約10年後、北海道北部の大手建設会社の社長、藤井秀勝氏が任命されました。2004年に設立されたこの名誉領事館は現在も運営されていますが、名誉領事は変わり、2019年に彼の息子である藤井正弘が名誉領事の地位を引き継ぎました。

(G.バルブオリス大使と藤井正弘、2019年 写真:駐日リトアニア共和国大使館所蔵)

大手建設会社の経営者である大林武雄氏は、2009年に大阪で3番目の名誉領事になりました。

(リトアニアでの大林武雄氏 写真:VGTU所蔵)

福岡県福山市の名誉領事は2017年5月6日に設立され、他の領事館と比べて目立った活動をしていることで知られ、2021年3月23日には名誉総領事館の地位を与えられました。また、福山通運の大手物流会社社長、小丸成洋は領事館長に就任しました。

(小丸成洋名誉領事、2017年 写真:駐日リトアニア共和国大使館所蔵)

2018年5月14日、岐阜県岐阜市に第五名誉領事館が設立されました。代表は地方銀行十六銀行頭取の村瀬幸雄氏。

(写真:駐日リトアニア共和国大使館所蔵)

千葉県に位置する最新の名誉領事は、2019年5月に開設され、JCコムサ株式会社の代表取締役社長である大河原毅氏が所長を務めています。

(G.バルブオリス大使と大河原毅氏 写真:駐日リトアニア共和国大使館所蔵)

旧名誉領事館と現名誉領事館の所在地を記した地図です。

書誌情報

  • 1991-ųjų sausis–rugsėjis: nuo SSRS agresijos iki tarptautinio pripažinimo. Vilnius: Valstybės Žinios, 2008
  • Lietuvos ambasados Japonijoje informacija
  • Lietuvos centrinis valstybės archyvas
  • Romualdo Neimanto kolekcija. VDU

Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
Fri ‒ Mon: 09am ‒ 05pm

Adults: $25
Children & Students free

673 12 Constitution Lane Massillon
781-562-9355, 781-727-6090