日本でのリトアニアの美術
日本美術の作品はリトアニアで100年以上にわたって保存、展示されてきました。日本におけるリトアニア美術の歴史はもっと浅いが、ここ数十年でますます注目され、存在感を増しています。日本におけるリトアニアの芸術に関する知識は、M. K. チュルリョーニス、フルクサス、S. エイドリゲヴィチウスの 3名の芸術家に関連しており、芸術に精通している日本人にはよく知られています。しかし、ここ数十年でその他のリトアニアの芸術家、彫刻家、デザイナーにも、文化を代表する機会がだんだんと増えてきています。
(S.エイドリゲヴィチウスの東京での展覧会、2019年 写真:S. Eidrigevičius)
M. K. チュルリョーニス(1875年〜1911年)
M. K. チュルリョーニスはリトアニアで最も有名な芸術家であり作曲家です。彼はリトアニアと日本の両国を結んだ架け橋のような存在と言えるでしょう。20世紀の初めに制作が始まったチュルリオニスの作品は、当時東欧で人気を博していたジャポニズムの影響を強く受けており、彼はこの方法で日本の芸術を学びました。20世紀に入るとより多くの日本人へと広まり、そして愛されていきました。このようにしてチュルリョーニスはリトアニア文化を代表する芸術家となりました。日本では、彼は始め作曲家として知られ、その後画家として知られるようになりました。
チュルリョーニスの存命中、浮世絵によって広まったジャポニスムがヨーロッパ中で流行しました。ヨーロッパの画家、印象派、表現派、象徴派、その他の芸術スタイルを代表する画家たちは皆、日本美術を賞賛しました。彼らは日本の芸術から強い影響を受け、自らの作品に日本美術の要素を取り入れる画家もいました。ワルシャワでチュルリョーニスは浮世絵の展示を訪れたことで、日本美術について知るようになりました。彼が意識的、もしくは無意識にも日本美術のモチーフを自身の作品に反映させている可能性は十分にあると言えます。
(チュルリョーニス「海のソナタ、フィナーレ」、1908年 チュルリョーニス美術館 / Osvaldas Grigas)
(葛飾北斎「神奈川沖浪裏」、1830年頃)
日本でチュルリョーニスは1970年代に作曲家として知られ、それは加藤一郎にとって初の快挙となりました。チュルリョーニスに興味を持ったのは、彼の交響詩の音楽レコードを入手した後で、その後は出版社に勤務し、世界音楽百科事典の編集に携わりました。1972年、彼はチュルリョーニスの伝記、また彼の作品の概要をまとめたものを作成しました。また音楽とリトアニアについて同僚に勧めたりもしていました。愛好家はチュルリョーニスの作品に関心を持つ人々のための集まりを開き、展示会や音楽コンサートを日本で開催しました。
(一郎加藤とJ.チュルリョーニーテ 写真:「Švyturys」雑誌、R.ネイマンタス所蔵)
チュルリョーニスに興味を持つ人が集まるクラブはソ連時代に複製画の展示会を開催しました。1992年にはチュルリョーニスの最初で唯一の原画の展覧会が、東京のセゾン美術館で開催されました。皇室の代表者もこの展示会に出席し、このような貴重な展示が海外で実施されたのは初めてでした。日本美術の愛好家はチュルリョーニスの展示に大きな関心を持ち、後に彼に関する講義、また複製画の展示会も開催されました。皇后の美智子様もチュルリョーニスに関心をお持ちになったり、さらにはリトアニアの画家として複数の芸術誌によって特集が組まれたりもしました。
(チュルリョーニスの展示会についての記事 「Tėviškės žiburiai」新聞、1992年3月10日)
スタシス・エイドリゲヴィチウス
スタシス・エイドリゲヴィチウスは日本でも人気のある、リトアニアで最も重要な画家の1人です。彼は長い間にわたって日本人画家の森ヒロコと協力しながら作品の制作を行い、1993年には彼女の小さな個人経営の美術館森「ヒロコ・スタシス美術館」が北海道の小樽市にて設立されました。2017年の彼の死後、この美術館は一度閉館しましたが、2021年4月、森ひろこの甥によって改装、そして訪問客に対して展示が再開されました。
スタシス・エイドリゲヴィチウスの作品は本を通じて日本へ伝えられ、2015年と2018年に中川素子によって、彼の紹介本が出版されました。
(西武渋谷美術画廊にて展示会のチケット、1991年 写真:S. Eidrigevičius)
(展覧会の瞬間、エイドリゲヴィチウスに関する記事や書籍 写真:S. Eidrigevičius)
フルクサス
国際的な芸術運動フルクサスは1960年代に確立し、西洋と東洋の芸術のアイデアを統合しました。その創設者の 1 人は、リトアニアからの移民であるジョージ・マチューナスであり、彼がこの運動の名付け親です。中でも有名な参加者はヨーナス・メカスです。フルクサスとその参加者は日本でかなり人気があり、この運動は日本とリトアニアの間の芸術の架け橋のような存在となりました。日本で開催された最初の展覧会の1つは、1995年に私立美術館「ワタリウム」で行われ、 2021年8月にはG.マチュナスの90周年を記念した展示が行われました。
(AY-Oの2001年にカウナス絵画ギャラリーにインストレーションされた「ブラックホール」)
フルクサスは日本の芸術家たちにとって、ジョージ・マチューマスとヨーナス・メカスの祖国を知るきっかけとなりました。フルクサスの芸術により強い影響を受けた有名な日本人アーティスト、飯島孝雄(AY-O)は、2001年にカウナス絵画ギャラリーにインストレーション「ブラックホール」 (リトアニア語で“Juodoji skylė”) を贈りました。
ヨーナス・メカス
著名な芸術家、ヨーナス・メカスは複数回にわたって日本を訪れて、講義を開きました。彼に敬意を表し、ヨナス・メカスによる日本の日記映画の協会が設立されました。ヨーナス・メカスは最も有名なリトアニア人ディレクターと言われ、彼の作品は日本語にも翻訳されました。彼の詩集「森の中で」(リトアニア語で“Miške”)、「セメニシュケイの牧歌」(リトアニア語で“Semeniškių idilės”)、「どこにもないところからの手紙」(リトアニア語で“Laiškai iš niekur”)、日記「メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971」(リトアニア語で”Naujojo Amerikos kino ištakos 1959-1971”)、またその他記録などがあります。
(ヨーナス・メカスとのインタビュー、ニューヨーク、2014年)
その他の芸術家とそれに関わったプロジェクト
1992年に東京でチュルリョーニスの展示会の開催が計画されました。1994 年に東京の「スペース ユイ」ギャラリーで開催されたリトアニアのグラフィックスの展示会では、その他の芸術家が自身の作品を紹介する機会を得ました。それ以来、個人および集団での展覧会が企画されるようになりました。しかし、リトアニアの絵画は西会津国際芸術村や札幌雪まつりなどの有名なお祭りやイベントなどによって広く知られるようになりました。
(A. サカラウスカスは富山県の井波町にある木彫刻「ガビヤ」を製作中、1999年 写真:K. Kagi)
西会津国際芸術村
西会津は福岡県にある小さな山間の町です。2004年、人口減少が進むこの村は最近閉鎖した学校を再開させ、芸術家のための居住地とすることを決めました。その学校は日本、またその他の国々からの芸術家から大きな人気を集め、相互創造のプロジェクトを促進させました。2005年と2006年に住んでいた、1番最初の芸術家は彫刻家のケーストゥティス・ラナウスカスや画家のエグレ・ミチケヴィチュイテなどを含むリトアニア人でした。多くの人はリトアニアに夢中になり、次第にリトアニアの文化を紹介するイベントを開催するまでになりました。また、たくさんのリトアニアの画家の展示会も開かれ、ステンドグラス、琥珀、陶器、わらの屋根、絵画そして彫刻などが発表されました。それに加えて展示作品に関するワークショップや講座も開催されました。
(西会津国際芸術村のプロジェクトのポスター 写真:Anykščiai Art Incubator)
日本でのリトアニアの彫刻
日本では複数のリトアニアの彫刻を見つけることができます。例えば、ユオザス・ミケナス作の複製彫刻「最初のツバメ」(リトアニア語で“Pirmosios kregždės”)は箱根の彫刻の森美術館に保管されました。また、アルジマンタス・サカラウスカス作の木彫り「ガビヤ」の作例が富山県井波町に展示されています。
リトアニアの彫刻家のグループは数年間にわたってさっぽろ雪まつりにも参加しました。この祭りの期間中、世界中からの芸術家が雪の彫刻を作成しました。2011年、リトアニアの芸術家であるケーストゥティス・ラナウスカス、アルータス・ブーネイカ、トーマス・ペトレイキスは雪で蜂の巣と蜂を作成しました。この作品は「世界はミツバチの巣、責任を持とう」という言葉と共に展示され、見事1位を獲得しました。
(雪で作られた作品の隣に立つ彫刻家たち、2020年)
リトアニア「創造的で現代的な」
2018年10月、リトアニアは東京の「デザインアート」と呼ばれる大規模なデザインとアートの祭典に初めて参加しました。また、六本木地区のギャラリー「ブロードビーン」では、リトアニアをモダンなデザインの国として表現することを目的とした小規模イベント「リトアニア「創造的で現代的な」が開催されました。これらのイベント開催中、ヨリタ・ヴァイクテは杉原千畝の肖像画を描き、東京のメタボリズムに強く影響を受けたデーダ・リウドヴィナヴィチュイテは宝石のコレクションを、タダス・チェーニアウカスはインストレーション「黒い風船」を発表しました。また、展示会の訪問者は、現代のリトアニア料理も体験し、ピンクスープパーティーでは、伝統的な赤カブからできた冷たいスープについて学びました。
(イベントの瞬間、2018年 写真:Kūrybiniai ir organizaciniai sprendimai)
書誌情報
- Žukauskienė-Čepulionytė, Gabija. 2001. Dešimties metų Lietuvos ir Japonijos kultūros ryšių apžvalga. Mokslas ir gyvenimas, spalis.
- Nunokawa, Yumiko. 2017. Contextuality of the Artictic Language of M. K. Čiurlionis. Doctoral dissertation.
- Kaune – spalvingas japonų menininko instaliacijos „Juodoji skylė“ jubiliejus
- Delfi. 2005. Seną Japonijos mokyklą atgaivino lietuviai menininkai.
- 2021-04-10 森ヒロコ・スタシス美術館 4/11リニューアルオープン. Otaru-journal.com.